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ホリエモンと獺祭の桜井社長の対談(後編)

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「米を23%まで磨き、日本一を目指して造った獺祭」桜井博志が語る日本酒純米大吟醸のこだわりとは?
2014年4月24日

HORIEMON.COMより引用

杜氏さんたちにFA宣言されちゃったので、しょうがないから自分たちで作りました。

堀江 『獺祭』は、山田錦しか使っていないってことですが、減反政策で山田錦の作付面積が制限されていますよね。だとしたら、今、山田錦を作ったら儲かりそうな気がするんですけど……。

桜井 儲かりますよ。山田錦って高い米ですから。それに、山田錦は酒造好適米の中で一番供給量がある米なんですけど、それでも日本全国で30万俵ちょっとしかありません。本当は、うちだけで60万俵くらい手に入れたいと思ってるくらいなんですから。

堀江 旭酒造では、その30万俵のうち、今、どれくらい使用してるんですか?

桜井 4万1千俵くらいですかね。

堀江 山田錦の生産技術って、ふつうの食用米と比べると高度なんですか?

桜井 高度ですけど、やってできないというものじゃないと思います。

堀江 どのへんが違うんですか。一応、僕のおじいちゃんちが農家で、米も作っていたんですよ。

桜井 山田錦って、ふつうの米より丈が高いんです。そうすると台風なんかに弱いんですよね。それから、実が良くなるから頭が重たい。農家からしてみたら、少し手の掛け方を考えないといけない米なんです。

堀江 今は農協経由とかで仕入れてるんですか。

桜井 農協経由でも仕入れてるし、農家から直接も仕入れてます。

堀江 契約農家みたいな方はいらっしゃるんですか。

桜井 います。

堀江 例えばその契約農家さんで、買付け単価が異なったりするんですか?

桜井 いえ、基本的には一律です。その県の農協が出してる値段で、私らは買わせてもらっています。今、うちで一番たくさん作ってる農家は130町歩やってる農家があります。

堀江 130町歩って言われると……ちょっとその大きさがわかりませんけど。

桜井 約130ヘクタールです(東京ドームの約27倍)

堀江 それは、どこですか?

桜井 岡山ですね。それでも、私らはもっと山田錦を作ってもらえるように働きかけてます。

堀江 年間の出荷本数はどれくらいなんでしたっけ?

桜井 だいたい一升瓶で約110万本。こんなに売れるって、純米大吟醸は前代未聞でしょうね。

堀江 在庫はさばけている感じですか?

桜井 在庫はまったく足らない状況です。あればあるだけ売れてしまう状態。だから、私らは、もっともっと作りたい。だから米があれば……。

堀江 じゃあ、山田錦ベンチャーでも立ち上げようかな(笑)。

桜井 ぜひ、立ち上げてください(笑)。

堀江 今、農地生産法人とかって、どんどん規制が緩和されつつあるじゃないですか。現実的に株式会社として山田錦を製造するベンチャー企業を作るっていうのは全然あると思うんですよ。あと、雑誌の記事かなにかで読んだんですけど、「日本酒の方がワインより手間がかかる、原価率が上がる」というようなことが書いてあったんですが、やっぱりそうなんですか。

桜井 そりゃ、もう全然違いますよ。

堀江 プロセスが一個多いですもんね。

桜井 多いですね。でも、それよりも日本の場合は、杜氏さんという職人集団がいて、その人たちが何百年にもわたって改良を積み重ねて、今の日本酒というスタイルになったんです。だから、細部における技術がすごいんですよ。

堀江 すごいっていうと?

桜井 例えばビールだったら、麦芽を煮沸させて無菌状態にします。そして、そこに酵母をつけて発酵させるわけです。ひとつひとつの行程を順番に行います。そのために安定した品質が保てます。しかし、日本酒は糖化と発酵を一緒にします。だから品質のコントロールが非常に難しい。そこを杜氏たちの長年にわたる経験と勘でやっているわけです。もし、この行程を別々にやってしまうと、まったく別の飲み物になってしまうんですよ。

堀江 やったことあるんですか?

桜井 あります。だって、うちは元地ビールメーカーですから。地ビールの設備があったので、それに米入れてやってみたんです(笑)。

堀江 地ビールも作ってたんですか?

桜井 作ってました。地ビールで失敗したから、今があるんです(笑)。

堀江 で、どんな感じだったんですか、そのネオ日本酒みたいなやつは……。

桜井 なんとも、ヘンチクリンな香りの……。良い酒ではありませんでしたね。

堀江 でも、たとえば東京農業大学とかの醸造科を出て、地元の酒蔵継ぎますとか、そういう人も結構いるわけじゃないですか。それこそ、夏子の酒は大学の醸造科を出た人がアルバイトで入って来てみたいな話じゃないですか。日本酒造りでも、科学的にある程度解明されている部分っていうか、技術として確立されている部分とかってあるわけですよね。

桜井 もちろんです。技術的には、おそらく昭和50年代にはできあがったと思います。あとは、どの技術とどの技術をチョイスしてくっつけるかという選択だと思います。

堀江 だけど、その長年の伝統があって、杜氏制をなかなか変えられないみたいなことがあるわけですか?

桜井 そうですね、酒造りって冬場の仕事なんですよね。杜氏さんって、だいたい兼業で、酒造りに来るのは冬だけです。酒蔵からしたら、一番寒くて冷房効率の良い時に杜氏さんたちに来てもらって、酒を作ってもらう。夏場はいないから人件費は必要ない。杜氏さんにしてみたら冬場に仕事して、夏は自分の家で農業をしてるとか……。

堀江 農閑期にやる仕事だったんですね。

桜井 そうですね。

堀江 そこを革新しちゃったわけですか。

桜井 革新というか、地ビールで失敗して、杜氏さんたちにFA宣言されちゃったので、しょうがないから自分たちで作ろうと。

堀江 ある意味、必要に迫られて……。

桜井 だから当時、「大変だから一緒に頑張るよ」って言ってくれた杜氏さんがいたら、今はなかったですね。いなかったから、そこでイノベーションをすることができたんです。

(編集部注:旭酒造は杜氏による酒造りを辞め、社員のみによる生産体制に切り替えた。また、蔵内を常時5℃に保つ空調設備を導入し、年間を通して酒造りが行なえるようになった)。

堀江 僕、日本酒の普及率が上がらない一番の理由って、日本酒独特の風味だと思うんです。そのへんをどういうふうにお考えなのかなって、ちょっと聞いてみたかったです。

桜井 うちの酒どうでした?

堀江 やっぱり独特の風味はありますよ。それこそが日本酒らしさなんですけど、その日本酒らしさが良い時もあれば、この風味があるから飲みたくないなっていう人もぶっちゃけいると思うんです。そういう意味では、ビールってわりとオールマイティーじゃないですか。

桜井 ……う〜ん。

堀江 「とりあえずビール」っていう人は多いけど、「とりあえず日本酒」っていう人はまずないでしょう。

桜井 ひとつは、「とりあえず……」っていう商品は、ある意味、お客様もそこまではこだわらないですよね。そして、もうひとつは、日本酒の大きな特徴というのは、それなりのアルコール度数や独特の香り、味があって、おかしなたとえだけど“体調が悪い時には、あまり飲みたくない”酒ですよね。だけど、僕はそれがひとつの日本酒の価値だと思っているんです。

堀江 言いたいことはわかります。でも、今までワインとかビールとか焼酎とかを飲んでる層に日本酒を広げていくっていう考え方はないのかなって。日本酒独特の風味をもっと万人受けするようなものにしていくことはないんですか?

桜井 それはないです。それをやると、おそらく日本酒の良いものを捨ててしまう気がするんです。私たちはマスマーケット狙ってないんですよ。それは当たり前ですよね。だって、ちっちゃい酒蔵ですから。マスマーケット狙おうとするなら万人受けするものを造る必要があるんでしょうけど……。

堀江 たとえば、納豆とかでそうだと思うんですけど、臭みの少ない納豆とかってやっぱりエントリー商品としてはすごくいいわけですよ。そういう日本酒があれば、そのうちに本筋に近づいていくわけじゃないですか。「納豆って意外とうまいんだ」って思えれば、臭い納豆も食えるようになるみたいな。クセの少ない、入りやすいところを造るみたいな考えはないのかなと思ったんですよ。

桜井 それをやるのは、うちじゃないですね。もっと大きなメーカーだと思いますよ。

堀江 大きなメーカーに期待できないから言ってるんですけど(笑)。申し訳ないんですが、大きなメーカーって品質の低い酒を作って、逆に日本酒離れを加速させてる元凶だと思うんです。

桜井 (笑)。

堀江 だから、やっぱり旭酒造みたいな会社が、ドンペリと並ぶようなハイエンドの獺祭スパークリングのようなものを出してほしいなと思っているんです。そして、世界中で日本酒の評価をもっと上げてほしいんです。

桜井 そう言われるとうれしいんですが……。とにかく、今は、なんとかお米を手に入れて、みなさんの需要にお応えすることが先決だと思っています。

堀江 やっぱり、問題は米ですか……。すみません、そろそろ時間のようです。本日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。

桜井 こちらこそ、ありがとうございました。

桜井博志(Hiroshi Sakurai)
旭酒造株式会社代表取締役社長(旭酒造は1770年創業の老舗)
1950年山口県岩国市生まれ。1973年に松山大学を卒業し、3年間の修業を経て1976年に旭酒造に入社。その後、一時期、旭酒造を離れるが、1984年に戻り、試行錯誤のうえ1990年に『獺祭』を開発。倒産寸前だった会社を立て直す。