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ベネッセ顧客名簿流出に思う

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2014年7月19日 @ 19:42

 

世界中の企業が世界中にモノを売る時代になるというのが、グローバル化するということだ。

世界中にモノが売れるようになるということは、それ自体は素晴らしいことなのだが、逆に言うと世界中の企業がライバルになるということでもある。

そうすると、企業はグローバル化した世の中で、激しい競争にさらされていくことになる。

競争に打ち勝つための最も手っ取り早く効果的な方法は、「値下げ」するという方法である。

安易な値下げは利益率を下げるので多くの企業は付加価値を付けて何とか値下げしないようにもがく。しかし、それでもありとあらゆるものは、過剰なまでの競争の中で値下げ競争に巻き込まれざるを得ない。

企業が値下げするためには、徹底的なコスト削減をしなければならないのだが、その最も大きなコストは人件費なので、当然のことながら、企業の努力は「いかに社員を減らすか」「いかに給料を下げるか」「いかに安い給料で長時間働かせるか」という部分に収斂していく。

じり貧になるというのは、どういうことか?


日本企業がもう終身雇用も年功序列も維持できなくなったのは、グローバル化した社会から見ると必然であった。それでも日本企業は従業員のことをよく考えている方だ。

何とか従業員を守ろうとした企業は、それによって高コスト体質で競争から脱落して会社自体が傾いてしまう。会社の存続が不可能になると、結局は守ろうとした従業員も守れなくなってしまうのだ。

これが意味するところは、もうサラリーマンという生き方自体が「終わっている」ということである。サラリーマンを長く続ければ続けるほど状況は悪くなる。

このままでは間違いなく、じり貧になってしまう。食べて行けなくなって借金をしたり、犯罪の誘惑に駆られたりする人も続出する。

追い詰められれば、会社の商品に毒を混入させたり、会社の機密情報や個人データを売り飛ばす人間すらも出現する。生活に窮すれば、誰でも自暴自棄になっていく。じり貧になるというのは、そういうことだ。

時代が進めば進むほど、私たちは頼りになる大樹を失い、「寄らば大樹の陰」の生き方が難しくなっているのに気が付いている人もいるかもしれない。

かつては「国」があなたを守ってくれていた。次に「企業」があなたを守ってくれていた。次に「家族」があなたを守ってくれていた。

しかし、今や国も企業も家族も信じられないほど脆弱な存在になった。もう、誰もあなたを守ってくれない。国も、企業も、家族も、あなたを見捨てる日が来る。

悪い方向に転がり落ちる時代に必要なもの


これから私たちが生き残るには、「今まで以上に注意して生きる」ことがより重要になるのは言うまでもない。

質素に生きるのは当然のことだ。他人に雇われて生きている人間が、見栄や体裁を気にしたところで仕方がない。質素に生きるというのは、面白くもおかしくもなく、昔から言われている当たり前のことだ。



質素に生きるというのは、原則中の原則である。どんなに時代が変わっても、原則が変わることはない。時代が変われば通用しなくなるのは原則ではない。いつの時代でも通用するのが原則である。

「質素に生きる」というのは、そういう意味で、「生きるためには呼吸しなければならない」と言うのと同じくらい当たり前の原則だ。1000年前、2000年前からそれは変わらない。原則とはそういうものだ。

こういった基本がないがしろにされやすいのは、質素にすることで節約できる金額は少なく、すぐに目に見えた効果が出てくるわけではないからだ。

毎日毎日、10円やら100円を節約したところで、何か意味があるように思えない人は多い。

しかし、質素に生きるという生き方が身につくということは、仮に収入が増えても舞い上がらず、収入が減っても淡々と生きていけるという「平常心」が身につくということでもある。

これが、悪い方向に加速をつけながら転がり落ちる時代には、なくてはならない基本的な精神なのである。収入の多寡で舞い上がったり絶望したりしていたら、激変の時代に生き残ることなどできない。

 

 

「知識・技術・知恵」を向上させるための投資


こういった原則を踏まえた上で、さらに重要なのは自分自身の「知識・技術・知恵」を向上させるための投資については、絶対に金を惜しまないことだろう。

世の中の仕組みを探る。世の中の原則を知る。叩きのめされないように知識を得る。ワナに落ちないように直感が働くようにする。まともに生きられる知恵を身につける。

世の中をうまく生きていくためには、こういった「知識・技術・知恵」を手に入れなくてはならないのだが、そこに金を惜しんではもったいない。

質素に生きるだけでも充分にやっていけるが、そこに「知識・技術・知恵」が加わったら、それ自体がひとつの財産になる。それは自分の頭の中にある財産なので、世の中が激変したとしても失うことはない。

多くの人は、これと逆のことをする。どうでもいい物は買うが、自分を向上させる投資はしない。「知識・技術・知恵」に金を出すよりも、どうでもいい新製品の方に金を出して消費したいと考える。

社会全体が右肩上がりであれば、寝てても遊んでいても自分の生活まで底上げされるのだが、社会全体が右肩下がりになっていくと、自分を向上できない人間から転がり堕ちていく。

社会がどんどん悪くなると、少ないパイに多くの人が群がっていく。そうすると、必然的にまわりの人間を蹴落としたり、騙し討ちにしたり、カモにしたりする悪辣な人間が山ほど出てくるようになる。

グローバル経済の進行によって、日本社会の中でも現在進行形で国民の困窮化が進み、悪人どもが炙り出されて来ているが、この流れは始まったばかりである。

迷わず節制し、迷わず自己投資し、社会がどう転がろうと、したたかに生きて欲しい。