50歳になりました
ぬりぞうほんぽの松浦です。
5月5日は私の誕生日です。
私の生まれた1964(昭和39)年は
東京オリンピック開催、東海道新幹線ができた年ですね。
あれから50年、半世紀です。
さて、誕生日に少し思うことを・・・
私はよく、「世界とは、自分が知っている範囲のことである」
と感じます。知らないことは、存在自体が認識されません。
私たちが「世界は……」と語る時、それは自動的に
「私が知る範囲の世界は……」ということです。
努力すれば、より多くを知り、自分の知る世界を
広げることができます。けれども、誰にとっても「この世に存在して
いるすべてを知ること」は不可能です。
読書家を自認する人なら誰でも「こんなにもたくさん読むべき
(読みたい)本があるのに、時間がまったく足りない」と
いう焦りを感じたことがあるでしょう。世の中には無限に広がる
知の世界がありますが、すべてを知ることは誰にもできません。
一方で、「知らないからこそ幸せ」という状況もよくあります。
人間は、知れば知るほど楽しくなれるわけでも、幸せに
なれるわけでもありません。むしろ世界が狭いほど、知っている範囲が
狭いほど、幸せだという場合も多いです。
人は、自分より恵まれている人、豊かな人の存在を知らなければ、
ねたみや焦燥を感じないで済むし、パートナーの浮気や裏切りを
知りたくない人は多いでしょう。
「世界=自分が知っている範囲」であるならば、個々人が
認識する世界は、その人が「どの程度知ろうとしているか」
という意思や勉強量、経験量に依存(いそん)します。
例えば、世界に貧しい人たちがいることを知らない間は、日本で
のほほんと暮らすことができます。
これを「ステップ1」としておきましょう。
しかし、海外に行き、「驚くほど貧しい国がある」と実際に
見聞きすると、いきなり問題意識が高まり、開発経済学を
学んでみたり、海外ボランティアに参加し始めたりする人が現れます。
知っている世界が広がり、行動が変わる。
これがステップ2です。
さらに学びの範囲が広がると、非営利団体の非生産性や、支援側の
国際機関が極めて官僚的な組織であること、国際援助の現場にも政治の
駆け引きが渦巻いている、といった現実も知ることになります。
それらの新たな世界を知ったために、国際援助の仕事ではなく、自分の
国で普通に働き、経済的な付加価値を高める活動に自分の居場所を
見つける人もいます。
これがステップ3です。
さらに一部の人は「国際援助に非効率や政治的な側面が
あるのは事実だが、それでも自分はそんな環境の中で
地道に援助を続けていこう」と思い始めます。
これをステップ4とします。
人がこれらのステップのどこに位置するかは、それぞれの人が
「知っている範囲=その人に見えている世界の様子」の違いに
よって影響を受けます。ある人が国際援助に強い関心を持ち、
ほかの人がそうでないのは、
2人の価値観の違い以上に「2人の見えている
世界が異なるものだから」という理由も大きいのです。
さらに興味深いのは、ステップ2にいる人が、より広い範囲が
見えているステップ3の人に対して、「彼らが国際援助
に興味を持たないのは、貧しい人たちの現状を知らないからではないか」
と感じることさえあることです。
実際にはステップ3の人は、貧しい人たちの現状のほかに、それを
援助する側の実態に関してまで知識を得てしまったために、自分の人生を
別の場所に置こうという判断をしたわけです。
しかし、ステップ2の人にはそんな世界は見えていません。
この例に限らず、私たちが理解しておくべきは、自分が
「これが世界の現状だ」と思っているものは、決して“世界”の現状なんか
じゃないということです。
個々の人が知っている範囲が、その人にとっての世界に見えているだけです。
誰かが「ばかげた意見」を口にしたとき、私たちは
「あいつはホントに分かってない」と思ったりします。
けれど本当は、その人には、自分には見えていない、何か別の世界が
見えているのかもしれないのです。
ひとくちメモ: 依存(いそん)
正しくは、いそん と読み いぞん ではありません。
いぞん は本来 「異存」のことで
依存(いそん)、異存(いぞん)と区別してきました。
NHKや報道ステーションなどでは きちんと「いそん」
と発声しますが、安倍首相や石破幹事長なども
「いぞん」と発声し
辞書にも、両方載っている時代なので、近い将来
「いそん」と発声する人の方が 白い目で見られる
時代が来るでしょう。
まあ、時代とともに 言葉も変わって行くものなので
目くじらを立てるつもりはありませんが・・・
◆ 言葉の読み方が変わった例を
* 新しい(あたらしい) あらたしい→あたらしい
* 秋葉原(あきはばら) あきばはら→あきはばら
* 山茶花(さざんか) さんざか→さざんか
その他、名前なども 発声しにくいと本来の読み方で
読んでもらえません、
(例)*藤原(ふじはら) ふじわら と読まれる
ふじわら と ふじはら 両方あります。
*鮫島(さめしま) さめじま と読まれる
さめじま と さめしま 両方あります。
*土肥(どひ) どい と読まれる
ほとんどの場合 どひ です。