Monthly Archives: 5月 2014

50歳になりました

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ぬりぞうほんぽの松浦です。
5月5日は私の誕生日です。
私の生まれた1964(昭和39)年は
東京オリンピック開催、東海道新幹線ができた年ですね。

あれから50年、半世紀です。

 

 

さて、誕生日に少し思うことを・・・

 

 

私はよく、「世界とは、自分が知っている範囲のことである」

と感じます。知らないことは、存在自体が認識されません。

私たちが「世界は……」と語る時、それは自動的に

「私が知る範囲の世界は……」ということです。

努力すれば、より多くを知り、自分の知る世界を

広げることができます。けれども、誰にとっても「この世に存在して
いるすべてを知ること」は不可能です。
読書家を自認する人なら誰でも「こんなにもたくさん読むべき

(読みたい)本があるのに、時間がまったく足りない」と
いう焦りを感じたことがあるでしょう。世の中には無限に広がる

知の世界がありますが、すべてを知ることは誰にもできません。
一方で、「知らないからこそ幸せ」という状況もよくあります。

人間は、知れば知るほど楽しくなれるわけでも、幸せに
なれるわけでもありません。むしろ世界が狭いほど、知っている範囲が

狭いほど、幸せだという場合も多いです。
人は、自分より恵まれている人、豊かな人の存在を知らなければ、

ねたみや焦燥を感じないで済むし、パートナーの浮気や裏切りを

知りたくない人は多いでしょう。
「世界=自分が知っている範囲」であるならば、個々人が

認識する世界は、その人が「どの程度知ろうとしているか」
という意思や勉強量、経験量に依存(いそん)します。
例えば、世界に貧しい人たちがいることを知らない間は、日本で

のほほんと暮らすことができます。

 

これを「ステップ1」としておきましょう。

 

 

しかし、海外に行き、「驚くほど貧しい国がある」と実際に

見聞きすると、いきなり問題意識が高まり、開発経済学を
学んでみたり、海外ボランティアに参加し始めたりする人が現れます。

知っている世界が広がり、行動が変わる。
これがステップ2です。

 

さらに学びの範囲が広がると、非営利団体の非生産性や、支援側の

国際機関が極めて官僚的な組織であること、国際援助の現場にも政治の

駆け引きが渦巻いている、といった現実も知ることになります。
それらの新たな世界を知ったために、国際援助の仕事ではなく、自分の

国で普通に働き、経済的な付加価値を高める活動に自分の居場所を

見つける人もいます。

 

これがステップ3です。

 

さらに一部の人は「国際援助に非効率や政治的な側面が

あるのは事実だが、それでも自分はそんな環境の中で
地道に援助を続けていこう」と思い始めます。

 

これをステップ4とします。
人がこれらのステップのどこに位置するかは、それぞれの人が

「知っている範囲=その人に見えている世界の様子」の違いに

よって影響を受けます。ある人が国際援助に強い関心を持ち、

ほかの人がそうでないのは、

2人の価値観の違い以上に「2人の見えている
世界が異なるものだから」という理由も大きいのです。
さらに興味深いのは、ステップ2にいる人が、より広い範囲が

見えているステップ3の人に対して、「彼らが国際援助
に興味を持たないのは、貧しい人たちの現状を知らないからではないか」

と感じることさえあることです。

実際にはステップ3の人は、貧しい人たちの現状のほかに、それを

援助する側の実態に関してまで知識を得てしまったために、自分の人生を

別の場所に置こうという判断をしたわけです。

しかし、ステップ2の人にはそんな世界は見えていません。
この例に限らず、私たちが理解しておくべきは、自分が

「これが世界の現状だ」と思っているものは、決して“世界”の現状なんか

じゃないということです。
個々の人が知っている範囲が、その人にとっての世界に見えているだけです。

誰かが「ばかげた意見」を口にしたとき、私たちは

「あいつはホントに分かってない」と思ったりします。

けれど本当は、その人には、自分には見えていない、何か別の世界が

見えているのかもしれないのです。

 

ひとくちメモ: 依存(いそん)

 

正しくは、いそん と読み いぞん ではありません。

いぞん  は本来 「異存」のことで

依存(いそん)、異存(いぞん)と区別してきました。

NHKや報道ステーションなどでは きちんと「いそん」

発声しますが、安倍首相や石破幹事長なども

       「いぞん」と発声し

 辞書にも、両方載っている時代なので、近い将来

「いそん」と発声する人の方が 白い目で見られる

時代が来るでしょう。

まあ、時代とともに 言葉も変わって行くものなので

目くじらを立てるつもりはありませんが・・・

 

 

◆ 言葉の読み方が変わった例を

 

* 新しい(あたらしい)    あらたしい→あたらしい

* 秋葉原(あきはばら)    あきばはら→あきはばら

* 山茶花(さざんか)     さんざか→さざんか

 

 

 

その他、名前なども 発声しにくいと本来の読み方で

読んでもらえません、

 

(例)*藤原(ふじはら)  ふじわら と読まれる

ふじわら と ふじはら 両方あります。

*鮫島(さめしま)  さめじま と読まれる

さめじま と さめしま 両方あります。

*土肥(どひ)  どい と読まれる

ほとんどの場合 どひ です。